2017年03月25日

ボブ・ディランのおめでたいお話1、2

ボブ・ディランのおめでたいお話1

 



おめでたく、明るいお話を掲載します。


アメリカの歌手ボブ・ディランがノーベル
文学賞を受賞しました。このお話はみなさん
と地球上の多くの人がご存知ですね。

音楽が芸術ではあるとしても、文学の分野でも
あるとは気が付かなかったですね。別に異論が
あるわけではありません。

おめでとう、なんです。


なぜ明るいニュースかという点は、ボブ・ディ
ランの対応が面白いのですね。ノーベル文学賞
の発表があった時、ボブ・ディランは沈黙しま
した。文学という意識はなくて作詞、作曲して
いたようです。それと、個人の性格が、つまり
個性からでしょう、ノーベル賞という大変な名
誉に押しつぶされると感じたかもしれません、
沈黙して周り大騒ぎを避けたように思われます。


そして、日にちが過ぎて「受賞する」と発表し
ました。これで、地球上の多くの人は安心した
のではないでしょうか。ボブディ・ディランは
自分に素直、正直、ちょっと控えめなだけ、
「よかった」と思った人が多かったのではない
でしょうか。


以下の報道記事はボブ・ディランがノーベル文
学賞を受賞すること表明し、ノーベル・アカデ
ミーが発表したものなどです。


賞は受賞するが、授賞式は欠席するということ
です。ニュースの配信日は10月、11月のもの
です。以下の画像はスエーデンの公的なページ
から借りてきました。

◇◇◇      ◇◇◇

ボブ・ディラン

◇◇◇      ◇◇◇     

ノーベル文学賞のメダル

◇◇◇      ◇◇◇


以下の5番目の記事には、ボブ・ディランはミネ
ソタ州の生まれなのですが、ボブ・ディランに
因む町がボブ・ディランのフェスティバルを毎
年するそうです。そのイベントにボブ・ディラ
ンが現れることは誰一人として期待していない
ということです。ボブ・ディランの何から何ま
でを愛している人たちが集まるのでしょう。
ぜひ、ミネソタの様子を一読してください。


このブログはマララさんがノーベル賞平和賞を
受賞した時の記事を集めました。この平和賞は
ノルウェーの方で運営され、未成年の受賞でし
た。このブログ内の2014年10月~12月に掲載
があります。よかったら「マララ」、「ノーベ
ル平和賞」などで検索してしてみてください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディラン氏、ついに沈黙破る ノーベル賞受賞「素晴らしい」

AFP=時事 10/29(土) 6:34配信


【AFP=時事】米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン(Bob Dylan)氏(75)が、28日に英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)が掲載したインタビューの中で、今年のノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)受賞者に選ばれたことに初めて言及し、「素晴らしい」ことだと喜びを語った。

【写真12枚】ディラン氏の軌跡を振り返る

 ディラン氏は同賞受賞について「信じられない」「素晴らしいことだ。こんなことを夢見る人がいるか?」と語り、12月10日にストックホルム(Stockholm)で行われる授賞式への出席の意向を問われると「もちろん、できることなら」と答えた。

 ディラン氏は今月13日に音楽家としては初となるノーベル文学賞の受賞決定が発表されたが、同賞の選考委員会であるスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)の委員を務める著名スウェーデン人作家ペル・ワストベルイ(Per Wastberg)氏はその1週間後、ディラン氏とまだ連絡がついていないことを明かし、「無礼で傲慢(ごうまん)だ」と非難していた。

 インタビューで、沈黙を貫いていた理由について問われたディラン氏は「今ここにいるだろう」と答えている。【翻訳編集】 AFPBB News

ボブ・ディラン氏、ついに沈黙破る ノーベル賞受賞「素晴らしい」

AFP=時事 6時34分

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ノーベル賞・ボブ・ディラン.JPG


ボブ・ディランさん、ノーベル賞授賞式欠席へ

BBC News 11/17(木) 10:30配信

  •  

スウェーデン・アカデミーは16日、ノーベル文学賞に選んだ米歌手ボブ・ディランさん(75)が授賞式に欠席すると発表した。「先約があるため」欠席すると本人から書簡が送られてきたという。授賞式はノーベル賞の設立者アルフレッド・ノーベルの命日にあたる12月10日、ストックホルムで行われる。

スウェーデン・アカデミーによると、ディランさんは書簡で「非常に光栄」で、自ら賞を受け取りたかったと書いていたという。

ノーベル賞受賞者は来年6月までに、受賞講演をすることが義務付けられている。

ノーベル文学賞の授賞式に欠席した受賞者は、ほかに2005年受賞の英戯曲家ハロルド・ピンターさんや2007年受賞の英作家ドリス・レッシングさんなどがいる。

スウェーデン・アカデミーは、「それでも賞は各自のもので、ボブ・ディランも同様だ」と声明で発表。

「私たちはボブ・ディランのノーベル賞受賞講演を楽しみにしている。受賞講演が受賞にあたって唯一の条件で、2016年12月10日から6カ月以内にボブ・ディランも講演しなくてはならない」とアカデミーは説明した。

ディランさんは「偉大なアメリカ歌謡の伝統の中で新たな詩的表現を創造した」と評価され文学賞に選ばれたものの、約2週間にわたり沈黙を続けたため、さらに注目を浴びた。アカデミーは10月28日、ディランさんから「言葉もない」ほど光栄で、「できれば」自らスウェーデンの授賞式に出席して賞を受け取るという返事を得たと発表していた。
(英語記事 Bob Dylan confirms non-attendance at Nobel Prize ceremony)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

ボブ・ディランさん、ノーベル文学賞授賞式は欠席 「先約がある」

産経新聞 11/17(木) 1:29配信

 【ロンドン支局】AP通信によると、ノーベル文学賞の選考委員会スウェーデン・アカデミーは16日、今年の文学賞に決定したボブ・ディランさん(75)が、12月10日にストックホルムで行われる授賞式に出席しないと明らかにした。

 スウェーデンのメディアの報道によると、アカデミーはディランさんから書簡を受け取り、その中で「先約」があると理由が記されていたという。

 ディランさんは先月13日に授賞が発表された後、沈黙を保っていたが、28日になってアカデミーはディランさんが賞を受け入れる意向を示したと発表した。ディランさんは英紙のインタビューで授賞式に出席するかどうかを尋ねられ、「できることなら」と述べたが、出欠についてはっきりした返事は避けていた。アカデミーは今月3日、授賞式に先立つ恒例の記者会見を今年は行わないと明らかにしていた。

ボブ・ディランさん、ノーベル文学賞授賞式は欠席 「先約がある」

産経新聞 1時29分

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

ノーベル文学賞受賞のボブ・ディラン、授賞式欠席

日刊スポーツ 11/17(木) 1:30配信

 ノーベル文学賞の選考主体スウェーデン・アカデミーは16日、受賞者の米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン(75)が、12月10日にストックホルムで行われる授賞式に参加しないと手紙で連絡してきたことを明らかにした。既に予定が入っており、ストックホルムに向かうことが難しいことが理由だという。

 スウェーデン・アカデミーによると、手紙は15日夜に届いたという。ディランは手紙の中で「できることなら、自分の手で賞を受け取りたかった。(受賞は)本当に光栄に思っている」などとつづっていたという。

 規則では、ノーベル賞の創設者アルフレド・ノーベルの命日の12月10日から6カ月以内に、受賞の理由となった功績に関する講演を行わないと、賞金を受け取れない。スウェーデン・アカデミーはリリースの最後に「私たちは、ボブ・ディラン氏の講演会を楽しみにしております」とつづった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

これぞボブ・ディラン 「欠席」も愛する地元民

ウォール・ストリート・ジャーナル 12/7(水) 13:47配信

 【ダルース(米ミネソタ州)】ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン氏が授賞式を欠席すると知った際、ディラン氏の遠戚にあたるスティーブ・ゴールドファインさんは少しも意外に思わなかったという。そうした性癖は、もう何十年も変わらないだからだ。

 「彼は60年前からまったく変わっていない」と話すゴールドファインさん。1950年代にはディラン氏の家族と感謝祭のディナーを楽しんだこともあったが、「その時もあの人は地下の部屋から出てこなかったし、ずっと音楽を楽しんでいた」という。

 ミュージシャンとして初めてノーベル文学賞を受賞したディラン氏は、賞を授与するスウェーデン・アカデミーを振り回し続けている。受賞決定後は数週間にわたり連絡が取れず、一時は1964年のジャン=ポール・サルトル氏以来の賞辞退者になるかと騒がれた。スウェーデンのテレビに出演したノーベル委員会のメンバーは、この時の同氏の対応を「無礼で傲慢(ごうまん)」と批判したほどだ。

 その後ディラン氏は賞を受け取る意向を示したが、10日にストックホルムで行われる授賞式に関しては「可能ならば」出席するとし、結局は「先約がある」ため欠席することとなった。

 過去にも授賞式に現れなかったノーベル文学賞受賞者は数名いるが、各自それなりの理由があってのことだった。2004年のエルフリーデ・イェリネク氏は広場恐怖症などを理由に欠席をしたが、会場向けにビデオメッセージを寄せた。2005年の受賞者ハロルド・ピンター氏は、体調不良のため欠席。1970年の受賞者アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏は母国の旧ソ連に再入国できなくなる可能性があるとして、式を欠席している。

追憶のミネソタ州

 ノーベル委員会の発表によれば、受賞者は授賞式から半年以内に必ず記念講演を行わなければならない。しかしこの無理強いに不快感を示しているのが、他でもないディラン氏の生まれ故郷に住む人たちだ。

 ミネソタ州ダルースとヒビングの住民らは、何十年にもわたりディラン氏の功績をたたえ、イベントを開催し、楽曲コンテストや詩の朗読会を開いている。もちろんディラン氏本人の登場はいつでも歓迎するが、「誰ひとりとして本人が会場に現れるとは期待していない」とヒビングに住むジョー・キーズさんは言う。

 当地で本屋を営んでいたキーズさんは、妻メリーさんとともにディラン氏にまつわる名所のツアーガイドとしても働く。ヒビングではディラン氏の誕生日に合わせて毎年5月24日に「ディラン・デイズ・フェスティバル」が開催されるが、キーズ夫妻は2006年の同イベント立ち上げに携わっていたという。

 地元の人たちは偉大なる同郷ミュージシャンの功績を称賛し、毎年ディラン・デイズ・フェスティバルに集まる。当日は参加者全員で「ハッピーバースデー」を歌い、食事にはディラン氏の好物とされるチェリーパイがふるまわれる。ただディラン氏はこれまで、ディラン・デイズ・フェスティバルの存在を認めたことはない。

秘めた故郷への思い

 メディアのインタビューにほとんど応じないことで知られるディラン氏。今回も代理人を通じてコメントを求めたところ返答は得られなかった。しかし過去の発言を見ると、故郷への思いが感じられる一方で、音楽を追究するために地元を後にした経緯が垣間見える。

 2005年に公開されたマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」では、ディラン氏は「ラジオを聞き始めて、地元に居続けることが退屈に感じられるようになった」と話している。

 ヒビングを去った後、ディラン氏はミネソタ州ミネアポリスに移り、その後1959年にニューヨークのグリニッチビレッジに移動。その頃のインタビューではニューメキシコ州のギャロップで育ち、14歳で旅回りのサーカス団に参加するようになったなどの作り話をするようになった。鉱山に囲まれた小さな街で育った事実は、自らのキャリアにふさわしくないと感じたのかもしれない。

 しかし地元ミネソタの人たちは、それを気にとめる様子もない。ダルースで開催される「ディラン・フェス」を主催すゼイン・ベイルさんは、「若い人たちがミネソタ州北東部から出たがるのは、よくある話だ」と語る。

 ミネソタ州のマーク・デイトン知事も、ディラン氏が若くして「ミネソタ州の枠にとどまることができなくなった」と話す。同じくミュージシャンのプリンスもミネソタ州出身地だが、プリンスは生涯を通して地元で生活を続けた。「プリンスは永遠のミネソタ人。しかしボブ・ディランはミネソタの子だ」とデイトン知事は話し、両者ともたたえている。

 デイトン知事は12月10日を州の「ボブ・ディランの日」に制定。当日のヒビングではディラン氏が1954年にバルミツバー(ユダヤ教徒のお祝い)を開いたホテルでライブが開かれ、カクテルなどがふるまわれる予定だ。

 ディラン氏が6歳から18歳まで過ごしていたこともあり、同氏の故郷といえばヒビングを指すことが多い。しかし6歳になるまで過ごしたダルースの街も、今は一週間にわたって続くディラン・フェスの開催地として知られる。フェスには毎年数千人のファンが訪れ、来場者はディラン氏になりきって詩を読み、作詞作曲コンテストに参加する。

風のように去ったディラン

 ディラン氏もデビュー当初は「声がフランク・シナトラと違う」などと批判され、ここまで地元で愛される存在ではなかった。1986年にはダルースの通りにディラン氏の名前をつける運動もあったが、一部住民が「1960年代の過激活動家の名前をつける理由が分からない」として反発したため、市議会によって却下された。

 ディラン氏が故郷で開かれる自身のイベントに出席することはないが、街を去ってから1度も地元に足を踏み入れなかったわけではない。遠戚関係にあるゴールドファインさんによれば、1970年代と80年代には友達や家族と会うためにこっそりと帰ってくることも多々あったという。

 2004年には弟デビッドさんの義母の葬儀に出席するため、ヒビングを訪れたこともあった。自身が育った家の向かいにある教会に現れたディラン氏は、たまたま居合わせた高校の恩師に話しかけ、学校で教わったことについて感謝の言葉を述べるなどしていた。

 ただ、話を聞きつけたマスコミがカメラを持って葬儀後の教会に押し寄せた時、ディラン氏はすでに姿を消していたという。

By GABRIEL T. RUBIN

これぞボブ・ディラン 「欠席」も愛する地元民

ウォール・ストリート・ジャーナル 12/7(水) 13:47

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ディランさん、授賞式欠席へ=書簡で「先約あり」―ノーベル文学賞

時事通信 0時58分

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディランのおめでたいお話2

 


ボブ・ディランは前ページのようにノーベル文
学賞は受賞すること、しかし授賞式には欠席す
ることも表明しました。ですが、ボブ・ディラ
ンはノーベル賞授賞式にメッセージを送り、授
賞式では代読されたということです。


ノーベル賞授賞式で公表されたボブ・ディラン
のメッセージは「自分の歌が文学なのだろうか
、などを考えたことは一度もない」ということ
です。こう素直に言う、この正直さには驚かざ
るをえないですね。


ボブ・ディランは「ノーベル文学賞はこれを考
えるきっかけを与えてくれた」ということです。
1941年生まれの75才なんです。それでこんな
真正直な発言をするのですから、やはり根は
「詩人」なのかな、と思わされてしまいます。


結論は「スエーデン・アカデミーに感謝します」
ということなのですが、ボブ・ディランの長年
のフアンはボブ・ディランの歌に魅入り、繰り
返しボブ・ディランの歌を聴いて年月を過ごし
たことに納得し、大いに満足したのではないで
しようか。よかったですね。

おめでとうございます。


2番目の記事はコラムニストの堀井健一郎氏の
書いた記事ですが、ボブ・ディランの曲につい
て書いています。ボブ・ディランの曲を聴くよ
うになったきっかけは吉田拓郎だそうです。読
者の方も思い出すことや曲名があることでしょ
う。一読してみてください。


ところでストックホルムのノーベル賞の授賞式
ですが、晩さん会の場にアメリカの歌手、パン
クの女王と言われたパティ・スミスがいました。
ボブ・ディランの「激しい雨が降る」を歌いま
した。


そこでちょっとしたハプニングが起きたのです
が、3番目、4番目の記事に詳しく報告されてい
ます。パティ・スミスは子供のころからボブ・
ディランのフアンだったようです。パティ・ス
ミスの発言から、アメリカや英語圏の音楽関係
者、歌手などへのボブ・ディランの影響力を推
し量ってみて下さい。非常に多くのミュージシ
ャンへ影響している実情の一部か少し想像でき
ます。

3番、4番目の記事はぜひ読んでみてください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ノーベル賞授賞式、ディラン氏がメッセージ「受賞できて光栄」

AFP=時事 12/11(日) 13:49配信

【AFP=時事】スウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)で10日に行われたノーベル賞(Nobel Prize)授賞式で、「先約」を理由に欠席したノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)受賞者の米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン(Bob Dylan)氏のメッセージが代読された。

【関連写真】米大統領の会合も欠席

 ディラン氏はアジータ・ラジ(Azita Raji)駐スウェーデン米国大使によって読み上げられたメッセージの中で「もしも私にもノーベル賞を受賞する可能性が少しくらいはあるよと誰かに言われたとしても、それは私が月面に立つのと同じくらいの可能性しかないだろうと思ったでしょう」と受賞の驚きを明かした。

 また、式に出席できなかったことを「申し訳ない」と謝罪したうえで「私の精神はあなたがたと共に(式典会場に)いるのだと知っていただきたい。このような名誉ある賞を受賞できて光栄に思っています」と謝意を表した。

 さらにディラン氏は、今回の受賞によって自身の歌を文学作品として捉える機会を与えられたとして、ノーベル賞の選考委員会であるスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)に感謝した。「『私の歌は文学なのだろうか?』などと考えたことはこれまで一度もなかった。ですから私にこの疑問について考えるきっかけを与えてくれ、そして、この根本的な問いに対して最終的に素晴らしい回答を与えてくれたスウェーデン・アカデミーに感謝します」

 そして、英国の作家ラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)、英国の劇作家ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)、フランスの作家・哲学者のアルベール・カミュ(Albert Camus)らそうそうたるノーベル文学賞受賞者たちの仲間入りを果たしたことに「言葉にできないほど」心から感動しているとも述べている。

 物議を醸したディラン氏の授賞式欠席により、式典後の晩さん会ではディラン氏と交流のある米ロック歌手、パティ・スミス(Patti Smith)さんがディラン氏の曲「はげしい雨が降る(A Hard Rain's A-Gonna Fall)」を歌った。緊張のあまり途中で歌が途切れてしまうハプニングもあったが、スミスさんは約1500人の出席者に謝り、温かい拍手を受けて歌い直した。【翻訳編集】 AFPBB News

ノーベル賞授賞式、ディラン氏がメッセージ「受賞できて光栄」

AFP=時事 12/11(日) 13:49

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ボブ・ディランの詩はここがすごい! 難解だなんてウソです 極私的ディラン耽溺記

現代ビジネス 12/16(金) 22:01配信


 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。その詩はしばしば「難解」と形容される。しかし、それは違うのだ。ひたすらディランを聴き込んできたコラムニスト・堀井憲一郎さんが彼の詩の魅力をわかりやすく説く。

吉田拓郎の影響で

 ノーベル文学賞の授賞式で、ボブ・ディラン代理の歌手が『ハード・レイン/はげしい雨が降る』を歌った。

 1963年の歌だ。
 ボブ・ディランの代表作である。

 ノーベル賞によって、注目されるようになったボブ・ディランだが、もっとも有名な曲は『風に吹かれて』だろう。ディラン受賞ニュースで流れていた音楽はだいたい『風に吹かれて』だった。あとは『はげしい雨が降る』と『ライク・ア・ローリングストーン』もニュースで流れていた。『時代は変る』も聞いた気がする。それがほぼ全部だ。


 私がボブ・ディランを聞くようになったのは、吉田拓郎の影響である。

 1972年に颯爽と現れたフォーク界の貴公子・吉田拓郎が、機会あるごとに「もっとも影響を受けたのはボブ・ディランである」「ボブ・ディランはすごい」と繰り返し発言していた。中学生だった私はすぐさまレコードを買いにいった。そのまま聞き続けた。


 その2、3年後だったとおもう。ボブ・ディランを聞き続けていた大人が(音楽評論家だったような気がするが、詳しくは覚えていない)、「ボブ・ディランのアルバムは、発売されるごとにリアルタイムで聴いていないと意味がない」ということを書いていた。その時代に居合わせなかった者にとって、とても口惜しい発言である。

 だったら、時代を越えても、似たような追体験をすればいいのだろう、と考えた。


 ファーストアルバムからきちんと聴いた。一曲ずつ、歌詞カードで英語を追い、訳詩を読む。それぞれの曲をほぼ口ずさめるくらい繰り返し聞く。

 ひとつのアルバムを繰り返し2、3ヵ月、ずっと聞き続ける。英語の歌詞を聴いただけで、内容がわかるようになって、次のアルバムに進む。それを繰り返した。

 1stアルバム【ボブ・ディラン】から始まり、2【フリーホイーリン・ボブ・ディラン】、3【時代は変る】、4【アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン】、5【ブリンギング・イット・オールバック・ホーム】、6【追憶のハイウエイ61】。

 高校生の終わりころから聞き込んで、このあたりで10代が終わってしまった。


 その後、中断を越えて、7【ブロンド・オン・ブロンド】、8【ジョンウェズリー・ハーディング】、9【ナッシュビル・スカイライン】まで深く聴いた。


 この9枚のアルバムで収録されている曲は103曲である。1960年代に披露されていたディランの歌である(ディラン作詞でない曲も含まれている)。


 この中で、いくつか私個人に突き刺さってきた詩を紹介したい。

 ただ、かなり異様な聴き方をしてきたので、バランスがとれているかどうか、自信はない。評判の芳しくないものも紹介しそうであるが、まあ、しかたない。


ディランの鮮烈な処女詩集

 デビューアルバムの【ボブ・ディラン】には13曲が収録されているが、ボブ・ディランのオリジナル曲は2曲だけである。2枚めの【フリーホイーリン・ボブ・ディラン】の13曲が鮮烈である。このアルバムをディラン処女詩集と考えていいだろう。

 多くの詩人もそうであるように、やはり処女詩集には詩人の魅力が凝縮している。

 この処女詩集には、有名な『風に吹かれて』と『はげしい雨が降る』が収められている。

 それ以外では『くよくよするなよ/ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オーライ』『第3次世界大戦を語るブルース』『アイ・シャルビー・フリー』という詩が好きだ。

 『ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オーライ』は、失恋した男の未練いっぱいの歌。この詩では、後半の「I give her my heart, but she wanted my soul」という一節が10代のころからずっと心に突き刺さったままである。


 「ぼくは彼女にぼくのハートをささげた、でも彼女が欲しがっていたのはぼくのソウルだった」

 あなたは子供ね、と彼女に言われ、ふられて、さまよい歩いている。でも、くよくよるすなよ、これでいいんだ。

そういう詩である。SoulはHeartを越えて彼女が欲しがるものである。Soulとは魔女が欲しがる〝人の内面そのもの〟におもえてくる。男がいいと信じてるものと、女がほんとうに欲しがるものはすれ違っている。ディランはそう語りかけてきた。


 『第三次世界大戦を語るブルース』は、反戦ソングのようなタイトルだが、そうではない(あまりいいタイトルだとはおもえない)。第三次世界大戦の夢を見た、という詩である。

 第三次大戦の夢を見たと医者で言ったら、狂ってると言われ、恋人と下水道へ隠れ、街を歩きまわる。キャデラックをみつけ、それに乗って42番ストリートを下る。「こいつは、戦争が終わったあとに乗るにはいいクルマだ」。

 反戦ソングではない。不思議な高揚感に包まれる詩である。


 『アイ・シャルビー・フリー』

 酩酊者の詩である。

 四分の三、酔っていて、女を引っ掛ける。プレジデント・ケネディが電話をかけてきた。「マイフレンド・ボブ、国家の成長には何が必要かな」「マイフレンド・ジョン、それは、ブリジット・バルドーだよ、それにアニタ・エクバーグと、ソフィア・ローレンさ」

 この調子で続く。「なんでいつも酔っ払っているかって、それは頭が平ったくなるし、心が軽くなるからさ」。酔った状態を歌い続ける。聴いていて私はとても気分がいい。

 この時期のディランの詩は、常に遠くを見ている。自分がいる場所ではなく、ここより他の場所を強く意識して、自分たちが踏んでいない地平を歌う。想像できるかぎりの遠くを夢想するようにと教えられているようだ。

 ディランの言葉を聞いているだけで、精神が身体から離れる気分になる。夢想の旅に誘われ、別の世界に迷い込み、異次元で走り回る。夢見るような時間が過ぎる。それが若きディランの詩である。


いまも心に残るフレーズ

 『はげしい雨が降る』は、とても幻想的な詩である。身体を削り、肌に突き刺さるようなシーンが並べられ、次々とうつりかわる。はげしくディランの幻想に巻き込まれていく。

 ケネディ大統領時代のキューバ危機のおり、まもなく世界が滅びてしまうのではないかとおもったディランは、そのときに抱いていたいくつかの詩のイメージを、この詩にすべてぶちこんでしまった、という逸話を、そのむかし何かで読んだ記憶がある。

 本当かどうかは知らない。でも、そういう言説が説得力を持つような混沌とした世界が提示される。聞いているだけでスリリングである。

 『第三次世界大戦を語るブルース』やケネディと電話する『アイ・シャルビー・フリー』などは、たしかにそのとき落ちこぼれたイメージで作られたようにも見える。

 * * *

 処女詩集以降にも、いくつも魅力的な詩がある。

 『時代は変る』には勇気づけられた。「For the loser now Will be later to win」今日の敗者はやがて勝者となる。この一節をよく口ずさんでいた。

 『ハッティ・キャロルの寂しい死』は、先にメロディだけを聴いた。(吉田拓郎がこの曲に「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」という個人的な恋愛話をのっけて歌っていたのだ)。

 その魅力的で説得力のある節まわしに、サビの部分「すべての恐怖をフィロソファイズし、ディスグライズし、クリティサイズする人たちよ、布っきれを顔から離しなさい、いまはまだ涙するときではない」というフレーズが襲いかかってくる。フィロソファイズ、ディスグライズ、クリティサイズは、理論、不名誉、批評というような意味だろう。このフレーズは最後には、顔をふかくうずめなさい、いまこそ涙するときだ、というフレーズに変わる。とつぜん、世界が広く見えた気になる。


 『サブタレニアン・ホームシック・ブルース』

 「ジョニーは地下室でクスリを混ぜている。おれは舗装道にいて政府のことを考えている」、というフレーズで始まる軽快な詩である。地下室「basement」舗装道「pavement」政府「gavernment」と心地いい音が続く。


 『ボブ・ディランの一一五番目の夢』

 メイフラワーに乗って陸地が見えた、というところから始まる長い詩である。スリリングな気分で言葉を辿ってくると、なにか愉快な気分になってくる。


 『エデンの門』

 エデンの門の外にあるさまざまな〝動〟と、門の内側にある静謐がくっきりと描き出される。


 『イッツ・オーライト・マ』

 「真昼の裂け目の漆黒が、銀の匙を影にしてしまい」と歌い始める長い曲は、第一フレーズが、noon,spoon,ballon,moon,soonときちんと同じ音で並べられている。各節ごとに音が変わっていく。それをたたみかけるように、早口で一気に喋るように、ディランは綴っていく。


 『イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー』

 ディランの強い決意が伝わってくるような詩。


 『廃墟の街』

 11分もある長い曲であり、この詩のもつイメージは凶悪で壮大で、示唆的で幻想的である。そのイメージの強さに何度も聞き返してしまう。


  『追憶のハイウエー61』

 「40本のレッドとホワイトとブルーの靴紐に、1000台の鳴らない電話がある」「五番目の娘が十二夜に、第一の父に言った」「第二の母は第七の息子とともにハイウェイ61にいた」

 数字がときに暗示的に、あるいは無意味に羅列されるのもディランの詩の魅力である。意味を探ってもどこにもたどりつかなさそうだが、でも無意味だろうと切り捨てる勇気も持てない。思考の混乱もまた快感になる。


 『ジョアンナのビジョン』

 ここにいないジョアンナのことを想う言葉が美しい詩となっている。


 『メンフィス・ブルース・アゲイン』

 同じところをぐるぐる廻っているような気分になってくる楽しい詩。聞いているととても元気になる。


 『ローランドの悲しい目の乙女』

 高貴なるものと卑賤なものが同価値で混じり合っている世界を暗示しながら、そこにはディランの哀しみがしっかりと感じられる。何度も惹きつけられるとても魅力的な詩である。


 『見張り塔からずっと』

 短い詩である。Watchtower見張り塔という言葉が刺激的である。ディランの立ち位置を示しているようだ。山猫が唸り、風が吠えはじまたところで詩は、断ち切られるように終わる。


 『フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド』

 フランキーとジューダスの物語詩。フランキーは死んでしまう。

 * * *

 いまも心に残るフレーズがある詩たちである。

 わたしがもっとも繰り返し聞いているのは『廃墟の街』と『ローランドの悲しい目の乙女』である。この二曲を聴き続けているだけでも、常に何かを刺激され、脳の中が刷新されるようである。

 文字と音を真剣に追うけれど、でも意味は深く考えないのが、ディランの詩を聴く時のポイントだとおもう。ディランの詩の素晴らしいところは、やはり、詩人じしんが朗読してくれているところだろう。

堀井 憲一郎     ★

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

パティ・スミス、ノーベル賞式典でボブ・ディランの『はげしい雨が降る』をカヴァー

ローリングストーン日本版 12/13(火) 17:00配信

パティ・スミスは、12月10日、スウェーデンのストックホルムで行われたノーベル賞授賞式で、ボブ・ディランの『はげしい雨が降る』のエモーショナルな演奏を披露した。

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ

パティ・スミスは、12月10日、スウェーデンのストックホルムで行われたノーベル賞受賞式で、ボブ・ディランの『はげしい雨が降る』のエモーショナルな演奏を披露した。この演奏は下のビデオの1:03:00から始まる。

スミスは、アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のクラシックを、アコースティック・ギターとペダル・スチール・ギター、そしてオーケストラをバックにノーベル賞の演壇から歌った。

曲の途中で、スミスは歌詞の1節を繰り返してしまったため、少しのあいだ演奏を中断せざるを得なくなり、さらにその部分から演奏を再開するのにちょっとした気持ちの立て直しが必要になった。「ごめんなさい。お詫びします。とても緊張しているので」とスミスは聴衆に話し、そんなスミスの誠実さを聴衆は称えた。

スミスの演奏に続き、ディランは「詩についての我々の概念を変えた」というスウェーデン・アカデミーのノーベル賞記念講演となった。

12月5日、ノーベル賞授賞式にディランが出席しないことに併せて、ノーベル文学賞授賞式でパティ・スミスが『はげしい雨が降る』を演奏するとの発表があった。

「オーケストラと一緒に私の歌を歌う計画があったの」とスミスはローリングストーン誌に話している。「だけど、ボブ・ディランが受賞して彼が受け取ることになったので、私の曲は置いておいて、彼の曲を歌う方が相応しいように思ったの。私は『はげしい雨が降る』を選んだわ。

なぜなら彼の曲の中でもっとも美しい曲の1つだから。人の痛みについての深い理解と痛みを究極的に跳ね返す力、それにランボー的な言葉への造詣が合わさっているのよ」。

「私は10代の頃からディランを追いかけてきたわ。半世紀になるわね」とスミスは加える。「彼の影響は大きく広がって、そのことで私には彼に多くの借りがあるわ。12月10日の式典でディランの曲を私が歌うのは、期待されていたことではなかったけれど、彼の曲を演奏するのを誇りに思うし、私たちのずっと先にはいるけれど、現代の、カルチャーの先導者として彼が存在してくれることに対する感謝の気持ちで演奏してみようと思うの」。
Translation by Kise Imai

パティ・スミスが語る、ノーベル賞授賞式:"極度の緊張状態"だった 
ローリングストーン日本版12/15(木) 16:15 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

パティ・スミス、ノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

BARKS 12/15(木) 20:52配信

パティ・スミスが、『New Yorker』誌にエッセイを掲載し、ノーベル賞授賞式でボブ・ディランの曲をパフォーマンス中、口ごもってしまった理由を説明した。

◆パティ・スミス画像

パティは9月、「そのときまだ誰かはわからなかったけれど、文学賞受賞者の栄誉を称えノーベル賞授賞式で歌わないかと打診された」そうで、「自分の曲の中からオーケストラとパフォーマンスするのに相応しいと考えた1曲を選んだ」という。

「けれど、ボブ・ディランが選ばれ、それを受け入れたと発表されたとき、自分の曲を歌うのはもはや適さないように思いました。予期せぬ状況に置かれ、私は相反する感情を抱きました。彼が欠席し、私はこの役目に適任なのか? 決してそんなことはしたくないと思ってきたのに、ボブ・ディランを不快にすることにはならないか? でも、決意を固め、全てを検討し、ティーンエイジャーのときから大好きで、私の亡くなった夫のお気に入りでもあった“A Hard Rain’s A-Gonna Fall”を歌うことにしました」

「そのときから、暇さえあれば練習し、全ての節を覚え歌うことができるよう尽力しました。自分も青い目の息子を持ち、喜びと決意を抱きながら、歌詞をオリジナルのキーで何度も何度も口ずさんでいました。作られたものそのままに歌おう、そして自分にはできるとだけ考えました。新しいシャツを買い、髪の毛を切り、準備万端だと思いました」

「ノーベル賞授賞式の朝、不安とともに目が覚めました。土砂降りで、雨は激しく振り続けました。着替える際、自信を持って曲を繰り返し歌っていました。ロビーへ行くと、フォーマルで伝統的な――刺繍のはいったクリーム色の着物と草履姿の素敵な日本人の女性がいました。彼女の髪は完璧にセットされていました。彼女は、生理学・医学賞を受賞した上司の栄誉を称えるために来たが、天気が嫌だと言ったので、私は、あなたはきれいよ、どれほどの風や雨もそれを変えることはできないと答えました。

コンサート・ホールに着いたころには、雪になっていました。オーケストラとのリハーサルは完璧でした。自分の楽屋にピアノがあり、紅茶と温かいスープが持ち込まれました。みんながパフォーマンスを楽しみにしているのは承知していました。全てが私の前にありました」

「16歳のとき、私にとって初めてのディランのアルバムを買ってくれた母のことを想いました。彼女はそれをバーゲン・コーナーで見つけました。“彼はあなたが好きそうなタイプね”って言っていました。私はそのレコードを何度も何度もプレイし、“A Hard Rain’s A Gonna-Fall”はお気に入りになりました。

それは当時、私はアルチュール・ランボーの時代には生きていないけれど、ボブ・ディランの時代にいると思わせたものです。それに、夫のことも考えました。彼と一緒にこの曲をパフォーマンスしたこと、彼の手がコードを奏でるところを思い出しました」

「そして突然、時間がきたのです。オーケストラは、王、皇族、受賞者たちが座る、ステージを見渡すバルコニーに配置されました。私は指揮者のとなりに着席しました。式は予定通り進行し、私はヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、アルベール・カミュら過去の受賞者が王のもとへ向かいメダルを受け取るところを想像していました。

そして、ボブ・ディランの文学賞受賞がアナウンスされ、私は心臓が激しく鼓動するのを感じました。彼への感動的なスピーチが読み上げられた後、自分の名が呼ばれるのが聞こえ、立ち上がりました。まるでおとぎ話のように、私はスウェーデンの王や王女、世界の偉人たちを前に立ったのです。全ての言葉がそれを書いた詩人の経験や立ち直る力をエンコードした曲と共に」

「オープニングのコードが始まり、自分が歌っているのを耳にしました。最初の一節はまずまずで、ちょっと震えていましたが、このさき落ち着くだろうと確信していました。しかし、その代わりに、私はあまりにも多くの感情に襲われ、そのあまりの激しさに圧倒され、それらをコントロールすることができなくなったのです。

目の端からテレビ・カメラの巨大なブーム・スタンドやステージの上の高位な人々を見ることができました。これほど圧倒されるような緊張には慣れておらず、続けることができませんでした。私は、自分の一部となった歌詞を忘れたわけではありません。ただ単に、それらを口に出すことができなかったのです」

パティは席に戻った際、失敗したと恥ずかしくて仕方なかったと同時に、その部分の歌詞が「I stumbled alongside of twelve misty mountains」に始まり「And I’ll know my song well before I start singing」で終わるところだったのに気づき、「本当にあの歌詞の世界に入り込んだという奇妙な実感を持った」という。

翌朝、朝食でノーベル賞受賞者たちに会ったとき「いいパフォーマンスだった」と言われ、「もっと上手くできたらよかった」と答えると、「いやいや、僕らには、君のパフォーマンスは僕ら自身の葛藤のメタファーに見えた」と優しい言葉をかけられたそうだ。

パティは70歳の誕生日(12月10日)に息子や娘とともに、彼女が誕生したNYでスペシャル・パフォーマンスを行なう。
Ako Suzuki

パティ・スミス、ノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

12月15日(木) 20時52分-音楽(BARKS)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

文豪の名が連なる受賞メッセージの全文

 

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞のメッセ
ージの全文を掲載します。このメッセージに至
るまでの経過は以下の記事の後半を見てくださ
い。この記事の配信は12月12日のものです。
 

このブログを1月1日から見ていただいている
読者には部分が報道されているので雰囲気はす
でにご存知でしょう。ノーベル文学賞の決定が
発表され、ボブ・ディランはしばらく沈黙を守
りましたが、その答えがあるように思われます。


ボブ・ディランは自分が作った曲やライブの活
動が文学かどうか自問していたようなのですが、
やはり自分が読んだノーベル文学賞を受賞した
文豪の作品を思い出したり、確認したりしたの
ではないでしょうか。


そこで、ボブ・ディランの挙げた文学者につい
て受賞した年を調べてみました。

ラドヤード・キップリングは1907年にノーベル
文学賞を受賞したイギリス人です。
バーナード・ショーは1925年にノーベル文学
賞を受賞、イギリス人。
トーマス・マンは1929年にノーベル文学賞を受
賞、ドイツ人。

パール・バックは1938年にノーベル文学賞を受
賞、アメリカ人。代表作「大地」は中国のお話
の名作ですね。
アルベール・カミュは1957年にノーベル文学賞
を受賞、フランス人。
ヘミングウェイは1964年にノーベル文学賞を受
賞、アメリカ人。


その次に、シェイクスピアが登場します。参りま
したね。シェイクスピアの時代となると映画はも
とより電気もない時代に遡ります。文学という感
覚があったかどうか。ボブ・ディランは独自の道
を進んできた内容を理解してもらいたかったよう
です。


そして、シェイクスピアは演劇が成功するために
演出や資金などあらゆることに努力したでしょう
が、それは生身の観客のため、文学かどうかは考
えてはいなったはず、同じように自分も文学かど
うは意識していなかったけれど、フアン、観客
のためには精一杯努力した。文学かどうかについ
てはスウェーデン・アカデミーが答えを出してく
れた、感謝します、となっています。

見事ですね。シェイクスピアの名前もあるメッセ
ージに、スウェーデン・アカデミーの委員も安心
したのではないでしょうか。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ


BY ANDY GREENE 
ディランのスピーチは、在スウェーデン米国大使アジータ・ラジが代読した。
以下、その全文:
皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。

本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。
私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。
いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。

その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが、本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。

ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。

ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。
彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。
つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。
もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。
それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。

ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。
それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。

そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。

私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。

「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。

この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。

ありがとうございました。

ボブ・ディラン

◇◇   ◇◇   ◇◇ 

ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、授賞式後の晩餐会向けにメッセージを寄せた。「キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイなどの偉大な人々と共に名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです」。

2016年10月初旬、ボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されるというニュースが流れた時、その異例とも言うべき決定に最も驚いたのはディラン自身だっただろう。


ディランが受賞すれば1993年以来のアメリカ人受賞者となるノーベル文学賞は「誰か別の人間に授与すべき」と、ゲイリー・シュタインガートやジェイソン・ピンターら何人かの作家から反対の声が上がった一方で、スティーヴン・キングやジョナサン・レセムをはじめ多くの人々からは、「素晴らしい決定」として祝福の声が寄せられた。

 

受賞決定後、何週間もディラン側は沈黙を続けた。ノーベル委員会は「ディラン側の誰からも折り返しの電話がない」とメディアに語った。ノーベル委員会のペル・ヴェストベリイも「(もしこのまま沈黙を貫くとしたら)それは無礼で傲慢な態度だ」とコメントしていた。

10月29日、ディランのアート展覧会に関連してデイリー・テレグラフ紙のインタヴューを受けた彼は、ついに沈黙を破った。「信じられない。とてつもなく素晴らしい。自分が受賞するなど夢にも思わなかった」。

 

インタヴュアーを務めたライターのエドナ・グンダーセンからの「ストックホルムでの授賞式へ出席するか」との問いに対しディランは、「もちろん。できる限り善処する」と答えた。

 

ツアーは授賞式の数週間前に終了したため、授賞式へは出席できるはずだったし、過去数 “とても名誉ある賞”であるノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、授賞式後の晩餐会向けにメッセージを寄せた十年の間、出席が可能な健康状態の受賞者で出席を断った例はない。

いつものディラン流のやり方で、彼はさらに周囲の思惑をかき回した。11月16日、彼は「授賞式へは出席しない」と宣言したのだ。「昨晩、スウェーデン・アカデミーはボブ・ディラン氏から個人的な手紙を受け取りました。そこには"既に別件が入っているため、12月のストックホルムでの授賞式へ出席することはできません"と書かれていました。彼はまた、"受賞はとても光栄なことで、直接受け取りたかった"とも述べています」との内容の声明をアカデミーが発表した。

ノーベル賞受賞者には、受賞から6ヵ月以内に記念講演を行う機会が与えられる。アカデミーとしては、2017年にディラン自身がストックホルムを訪れることを期待していたが、結局ディランは授賞式向けのスピーチの代読を依頼してきた。

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ | Rolling Stone ...

rollingstonejapan.com/articles/detail/27267

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

静かに起きている日本のボブ・ディラン現象 


以下の報道記事はボブ・ディランについてのノ
ーベル文学賞受賞の発表からの経過を整理した
ような内容です。ノーベル文学賞受賞によって、
ボブ・ディランが日本の茶の間に入り込んでい
るということです。少し言い方を変えると、ノ
ーベル文学賞が広く深く日本の茶の間で楽しま
れていると言えないこともないですね。


幅広く関心を持たれて、アルバムなども飛躍的
に売れているようです。今まで知らなかった、
曲を聴いたことがなかったという人が関心を持
つようになったとも述べています。推測ですが、
すごい数の人が注目し始めたのではないでしょ
うか。耳から聞くノーベル文学賞作品というこ
とになるのかもしれません。


自作の詩で作曲も本人、周りの騒ぎを避けて我
が道で進んできたミュージシャンということで
す。実際、現在でも年間に約100回くらいライ
ブをしているという元気さ、しかも毎回新しい
ことをするという、どこか超人的な部分もある
ようです。


耳から聞くノーベル文学賞は初めてなので、ノ
ーベル賞のフアンも増えることでしょう。受賞
のニュースをきっかけに初めてボブ・ディラン
の何十年も前の曲にしびれている人などもいる
ことでしょう。いいことばかりで2017年が初ま
ったことにしましょう。
報道記事の配信は12月11日のものです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディラン あらためて知る、ノーベル賞詩人の素顔

NIKKEI STYLE 12/11(日) 7:47配信

  •  

 ノーベル文学賞に選ばれながら、授賞式には先約があるとして「欠席」を表明したボブ・ディラン。授賞式では、ディランにあこがれてミュージシャンになった、愛弟子ともいえるパティ・スミスが歌い、その後の晩さん会ではディランからのメッセージも披露されるという。
 受賞した10月13日以降、2週間余りも沈黙を続けた際は「無礼で傲慢」などと報じられ、変人・奇人ぶりがクローズアップされた感もある。だが、受賞後に受けた英デイリー・テレグラフ紙のインタビューでは、素直に喜びを語っており、やはり本人も嬉しかったのは間違いなさそうだ。
 長年、彼とかかわってきたソニー・ミュージックの洋楽担当者である白木哲也氏も、「これまでもコメントは出さないのが普通だった」(以下同)と言う。過去の数多くの受賞や勲章も、時間さえ許せば出向いて受け取っているので、今回のノーベル賞授賞式も、出たかったのだが残念ながらの欠席、と受けとめるのがよさそうだ。
 そんなふうに、周囲の喧噪(けんそう)をよそに、我が道を行くのがディランというミュージシャンであり、そこが多くのファンを引きつける。

■歌詞のフレーズは、優れた“格言”のよう

 ノーベル賞受賞で初めてディランを知った人や、名前は知っているもののどんな人かよく知らないという方々のために、あらためて彼の歩みや素顔を振り返ってみよう。
 1962年にフォーク歌手としてデビュー。ベトナム戦争などで揺れる米国で、翌年に名曲『風に吹かれて』を発表。その後フォークからロックへ転換し、若者を中心に支持を受ける。職業作家によるラブソングが主流の時代に、政治や社会へのメッセージを打ち出した歌詞は革新的だった。ディランは「自ら歌いたい歌がなかったから」という理由で自分で曲を作り、それは時代が変わる瞬間を捉えたものだった。
 「歌詞のフレーズは、時に優れた“格言”のようでもあり、誰もが想像力を働かせ、自分に当てはめて、自分なりにいろいろな解釈ができる普遍的なもの。
 例えば、『いつもの朝に』では“きみの立場からすれば きみは正しい ぼくの立場からすれば ぼくは正しい”と歌い、『時代は変る』では“今の1位はあとでビリっかすになる 時代は変わりつつあるんだ”とも。そして、『ライク・ア・ローリング・ストーン』では“どんな気がする? 誰にも知られないってことは。転がる石のように…”と語りかけてくる。
 うまくいかなかったり、悩んだり、落ち込んだり、人生の中で何か壁を感じたり、そんな時、ディランが自分に向かって歌ってくれる。そして“グッとくる”。だからこそ、多くの人々が共感し、彼らの人生観を変えるほどの強烈なインパクトを残したのではないでしょうか」

■ライブでは、必ず最新型のディランを見せる

 66年7月にバイク事故に遭い、ツアー活動休止。74年にツアー復帰以降は、巨大ビジネス化した音楽産業への反動から小規模抜き打ちツアーを行ったり、「ゴスペル三部作」と呼ばれるキリスト教と深く関わるアルバムを出すなど、常に反体制の姿勢を漂わせてきた。
 88年にスタートした「ネヴァー・エンディング・ツアー」はあと2年で30年を迎える。75歳になった今も年間100近くの公演を重ね、累計ライブ数は世界中で2000回以上。2016年4月には通算8度目のツアーで来日している。このライブにも、ディランらしさが表れている。
 「毎回、必ず最新型のディランを見せつける。いつもその時の最新アルバムからの曲を中心に演奏し、お客さんに迎合した“グレーテスト・ヒッツ・ショー”は絶対にやらない。過去のヒット曲をやっても原型をとどめず、毎回全く違う姿になっていく。常に新しい道を進もうとしている姿勢、そこがディランらしさでもあり、これからも変わらないでしょう」
 こうしたディランの音楽や生き方は、多くのミュージシャンに影響を与えてきた。ジョン・レノンの作風を変え、ディランの『見張塔からずっと』をカバーしてヒットさせたジミ・ヘンドリックスや、ブルース・スプリングスティーン、日本では吉田拓郎らがフォロワーとなった。同じノーベル文学賞の有力候補と言われ続けている村上春樹の作品にも、ディランは登場してくる。
 彼はシンガーや作曲家であるだけでなく“詩人”であり、その多彩なサウンドと含蓄のある言葉で多くの人々の魂を揺さぶってきた。
 そして、「米国の伝統音楽にのせて、新たな詩の表現を創造した」という理由で、ノーベル賞を受賞する。音楽家としては初めての文学賞、という快挙である。


■初めて聴く世代からも大きな反響

 受賞のインパクトは大きく、ディランの動向が世界中のメディアで連日過剰なまでに報道される光景を目のあたりにして、彼の偉大さを初めて知ったという人も多かっただろう。
 ディランへの関心の高まりは、CDアルバムのセールスにも表れた。日本では、受賞の翌日には2万枚を超える注文が殺到。ベスト盤は軒並み品切れとなり、急きょ増産体制がとられた。
 12月7日には、オールタイム最新ベスト盤『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ボブ・ディラン』が発売されたが、それまでのベスト盤に比べて4~5倍の売れ行きだ。代表曲35曲を収録した入門編としての内容に加え、わかりやすい日本版ブックレット(解説書)がついているため、今回の受賞で初めてディランを知った人や若い世代が手に取っているという。ノーベル賞効果で、ファンのすそ野も広がった。
 「ディラン本人は、間違いなく受賞を喜んでいるでしょうが、周りの騒ぎには『面倒だなあ』と嫌気がさしているのではないか。今回の受賞で、お茶の間にまで名前は浸透したと思いますし、これを機にさらに多くの方々に彼の“歌の力”を感じてほしいですね」
 『雨のバケツ』では“やらなきゃいけないことをやるだけさ だからうまくできるのさ”と歌ったディラン。その言葉通り、自分の信じた道を、ただ黙々と歩み続ける。その後ろ姿を追うフォロワーは、今後も増え続けるに違いない。
(ライター 山田真弓、日経エンタテインメント! 小川仁志)

ボブ・ディラン あらためて知る、ノーベル賞詩人の素顔 NIKKEI STYLE12/11(日) 7:47

終りまでお読み頂き、ありがとうございました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




ラベル:ノーベル賞
posted by たまわさ at 22:00| Comment(0) | ノーベル賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「文豪とならび、言葉に出来ないほど感動」

「文豪とならび、言葉に出来ないほど感動」


 

ボブ・ディランは前ページのようにノーベル文
学賞は受賞すること、しかし授賞式には欠席す
ることも表明しました。ですが、ボブ・ディラ
ンはノーベル賞授賞式にメッセージを送り、授
賞式では代読されたということです。


ノーベル賞授賞式で公表されたボブ・ディラン
のメッセージは「自分の歌が文学なのだろうか
、などを考えたことは一度もない」ということ
です。こう素直に言う、この正直さには驚かざ
るをえないですね。「言葉にできないほど感動
している」ということです。


ボブ・ディランは「ノーベル文学賞はこれを考
えるきっかけを与えてくれた」ということです。
1941年生まれの75才なんです。それでこんな
真正直な発言をするのですから、やはり根は
「詩人」なのかな、と思わされてしまいます。


結論は「スエーデン・アカデミーに感謝します」
ということなのですが、ボブ・ディランの長年
のフアンはボブ・ディランの歌に魅入り、繰り
返しボブ・ディランの歌を聴いて年月を過ごし
たことに納得し、大いに満足したのではないで
しようか。よかったですね。

おめでとうございます。


2番目の記事はコラムニストの堀井健一郎氏の
書いた記事ですが、ボブ・ディランの曲につい
て書いています。ボブ・ディランの曲を聴くよ
うになったきっかけは吉田拓郎だそうです。読
者の方も思い出すことや曲名があることでしょ
う。一読してみてください。


ところでストックホルムのノーベル賞の授賞式
ですが、晩さん会の場にアメリカの歌手、パン
クの女王と言われたパティ・スミスがいました。
ボブ・ディランの「激しい雨が降る」を歌いま
した。


そこでちょっとしたハプニングが起きたのです
が、3番目、4番目の記事に詳しく報告されてい
ます。パティ・スミスは子供のころからボブ・
ディランのフアンだったようです。パティ・ス
ミスの発言から、アメリカや英語圏の音楽関係
者、歌手などへのボブ・ディランの影響力を推
し量ってみて下さい。非常に多くのミュージシ
ャンへ影響している実情の一部か少し想像でき
ます。

3番、4番目の記事はぜひ読んでみてください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ノーベル賞授賞式、ディラン氏がメッセージ「受賞できて光栄」

AFP=時事 12/11(日) 13:49配信

【AFP=時事】スウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)で10日に行われたノーベル賞(Nobel Prize)授賞式で、「先約」を理由に欠席したノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)受賞者の米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン(Bob Dylan)氏のメッセージが代読された。

【関連写真】米大統領の会合も欠席

 ディラン氏はアジータ・ラジ(Azita Raji)駐スウェーデン米国大使によって読み上げられたメッセージの中で「もしも私にもノーベル賞を受賞する可能性が少しくらいはあるよと誰かに言われたとしても、それは私が月面に立つのと同じくらいの可能性しかないだろうと思ったでしょう」と受賞の驚きを明かした。

 また、式に出席できなかったことを「申し訳ない」と謝罪したうえで「私の精神はあなたがたと共に(式典会場に)いるのだと知っていただきたい。このような名誉ある賞を受賞できて光栄に思っています」と謝意を表した。

 さらにディラン氏は、今回の受賞によって自身の歌を文学作品として捉える機会を与えられたとして、ノーベル賞の選考委員会であるスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)に感謝した。「『私の歌は文学なのだろうか?』などと考えたことはこれまで一度もなかった。ですから私にこの疑問について考えるきっかけを与えてくれ、そして、この根本的な問いに対して最終的に素晴らしい回答を与えてくれたスウェーデン・アカデミーに感謝します」

 そして、英国の作家ラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)、英国の劇作家ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)、フランスの作家・哲学者のアルベール・カミュ(Albert Camus)らそうそうたるノーベル文学賞受賞者たちの仲間入りを果たしたことに「言葉にできないほど」心から感動しているとも述べている。

 物議を醸したディラン氏の授賞式欠席により、式典後の晩さん会ではディラン氏と交流のある米ロック歌手、パティ・スミス(Patti Smith)さんがディラン氏の曲「はげしい雨が降る(A Hard Rain's A-Gonna Fall)」を歌った。緊張のあまり途中で歌が途切れてしまうハプニングもあったが、スミスさんは約1500人の出席者に謝り、温かい拍手を受けて歌い直した。【翻訳編集】 AFPBB News

ノーベル賞授賞式、ディラン氏がメッセージ「受賞できて光栄」

AFP=時事 12/11(日) 13:49

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ボブ・ディランの詩はここがすごい! 難解だなんてウソです 極私的ディラン耽溺記

現代ビジネス 12/16(金) 22:01配信


 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。その詩はしばしば「難解」と形容される。しかし、それは違うのだ。ひたすらディランを聴き込んできたコラムニスト・堀井憲一郎さんが彼の詩の魅力をわかりやすく説く。

吉田拓郎の影響で

 ノーベル文学賞の授賞式で、ボブ・ディラン代理の歌手が『ハード・レイン/はげしい雨が降る』を歌った。

 1963年の歌だ。
 ボブ・ディランの代表作である。

 ノーベル賞によって、注目されるようになったボブ・ディランだが、もっとも有名な曲は『風に吹かれて』だろう。ディラン受賞ニュースで流れていた音楽はだいたい『風に吹かれて』だった。あとは『はげしい雨が降る』と『ライク・ア・ローリングストーン』もニュースで流れていた。『時代は変る』も聞いた気がする。それがほぼ全部だ。


 私がボブ・ディランを聞くようになったのは、吉田拓郎の影響である。

 1972年に颯爽と現れたフォーク界の貴公子・吉田拓郎が、機会あるごとに「もっとも影響を受けたのはボブ・ディランである」「ボブ・ディランはすごい」と繰り返し発言していた。中学生だった私はすぐさまレコードを買いにいった。そのまま聞き続けた。


 その2、3年後だったとおもう。ボブ・ディランを聞き続けていた大人が(音楽評論家だったような気がするが、詳しくは覚えていない)、「ボブ・ディランのアルバムは、発売されるごとにリアルタイムで聴いていないと意味がない」ということを書いていた。その時代に居合わせなかった者にとって、とても口惜しい発言である。

 だったら、時代を越えても、似たような追体験をすればいいのだろう、と考えた。


 ファーストアルバムからきちんと聴いた。一曲ずつ、歌詞カードで英語を追い、訳詩を読む。それぞれの曲をほぼ口ずさめるくらい繰り返し聞く。

 ひとつのアルバムを繰り返し2、3ヵ月、ずっと聞き続ける。英語の歌詞を聴いただけで、内容がわかるようになって、次のアルバムに進む。それを繰り返した。

 1stアルバム【ボブ・ディラン】から始まり、2【フリーホイーリン・ボブ・ディラン】、3【時代は変る】、4【アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン】、5【ブリンギング・イット・オールバック・ホーム】、6【追憶のハイウエイ61】。

 高校生の終わりころから聞き込んで、このあたりで10代が終わってしまった。


 その後、中断を越えて、7【ブロンド・オン・ブロンド】、8【ジョンウェズリー・ハーディング】、9【ナッシュビル・スカイライン】まで深く聴いた。


 この9枚のアルバムで収録されている曲は103曲である。1960年代に披露されていたディランの歌である(ディラン作詞でない曲も含まれている)。


 この中で、いくつか私個人に突き刺さってきた詩を紹介したい。

 ただ、かなり異様な聴き方をしてきたので、バランスがとれているかどうか、自信はない。評判の芳しくないものも紹介しそうであるが、まあ、しかたない。


ディランの鮮烈な処女詩集

 デビューアルバムの【ボブ・ディラン】には13曲が収録されているが、ボブ・ディランのオリジナル曲は2曲だけである。2枚めの【フリーホイーリン・ボブ・ディラン】の13曲が鮮烈である。このアルバムをディラン処女詩集と考えていいだろう。

 多くの詩人もそうであるように、やはり処女詩集には詩人の魅力が凝縮している。

 この処女詩集には、有名な『風に吹かれて』と『はげしい雨が降る』が収められている。

 それ以外では『くよくよするなよ/ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オーライ』『第3次世界大戦を語るブルース』『アイ・シャルビー・フリー』という詩が好きだ。

 『ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オーライ』は、失恋した男の未練いっぱいの歌。この詩では、後半の「I give her my heart, but she wanted my soul」という一節が10代のころからずっと心に突き刺さったままである。


 「ぼくは彼女にぼくのハートをささげた、でも彼女が欲しがっていたのはぼくのソウルだった」

 あなたは子供ね、と彼女に言われ、ふられて、さまよい歩いている。でも、くよくよるすなよ、これでいいんだ。

そういう詩である。SoulはHeartを越えて彼女が欲しがるものである。Soulとは魔女が欲しがる〝人の内面そのもの〟におもえてくる。男がいいと信じてるものと、女がほんとうに欲しがるものはすれ違っている。ディランはそう語りかけてきた。


 『第三次世界大戦を語るブルース』は、反戦ソングのようなタイトルだが、そうではない(あまりいいタイトルだとはおもえない)。第三次世界大戦の夢を見た、という詩である。

 第三次大戦の夢を見たと医者で言ったら、狂ってると言われ、恋人と下水道へ隠れ、街を歩きまわる。キャデラックをみつけ、それに乗って42番ストリートを下る。「こいつは、戦争が終わったあとに乗るにはいいクルマだ」。

 反戦ソングではない。不思議な高揚感に包まれる詩である。


 『アイ・シャルビー・フリー』

 酩酊者の詩である。

 四分の三、酔っていて、女を引っ掛ける。プレジデント・ケネディが電話をかけてきた。「マイフレンド・ボブ、国家の成長には何が必要かな」「マイフレンド・ジョン、それは、ブリジット・バルドーだよ、それにアニタ・エクバーグと、ソフィア・ローレンさ」

 この調子で続く。「なんでいつも酔っ払っているかって、それは頭が平ったくなるし、心が軽くなるからさ」。酔った状態を歌い続ける。聴いていて私はとても気分がいい。

 この時期のディランの詩は、常に遠くを見ている。自分がいる場所ではなく、ここより他の場所を強く意識して、自分たちが踏んでいない地平を歌う。想像できるかぎりの遠くを夢想するようにと教えられているようだ。

 ディランの言葉を聞いているだけで、精神が身体から離れる気分になる。夢想の旅に誘われ、別の世界に迷い込み、異次元で走り回る。夢見るような時間が過ぎる。それが若きディランの詩である。


いまも心に残るフレーズ

 『はげしい雨が降る』は、とても幻想的な詩である。身体を削り、肌に突き刺さるようなシーンが並べられ、次々とうつりかわる。はげしくディランの幻想に巻き込まれていく。

 ケネディ大統領時代のキューバ危機のおり、まもなく世界が滅びてしまうのではないかとおもったディランは、そのときに抱いていたいくつかの詩のイメージを、この詩にすべてぶちこんでしまった、という逸話を、そのむかし何かで読んだ記憶がある。

 本当かどうかは知らない。でも、そういう言説が説得力を持つような混沌とした世界が提示される。聞いているだけでスリリングである。

 『第三次世界大戦を語るブルース』やケネディと電話する『アイ・シャルビー・フリー』などは、たしかにそのとき落ちこぼれたイメージで作られたようにも見える。

 * * *

 処女詩集以降にも、いくつも魅力的な詩がある。

 『時代は変る』には勇気づけられた。「For the loser now Will be later to win」今日の敗者はやがて勝者となる。この一節をよく口ずさんでいた。

 『ハッティ・キャロルの寂しい死』は、先にメロディだけを聴いた。(吉田拓郎がこの曲に「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」という個人的な恋愛話をのっけて歌っていたのだ)。

 その魅力的で説得力のある節まわしに、サビの部分「すべての恐怖をフィロソファイズし、ディスグライズし、クリティサイズする人たちよ、布っきれを顔から離しなさい、いまはまだ涙するときではない」というフレーズが襲いかかってくる。フィロソファイズ、ディスグライズ、クリティサイズは、理論、不名誉、批評というような意味だろう。このフレーズは最後には、顔をふかくうずめなさい、いまこそ涙するときだ、というフレーズに変わる。とつぜん、世界が広く見えた気になる。


 『サブタレニアン・ホームシック・ブルース』

 「ジョニーは地下室でクスリを混ぜている。おれは舗装道にいて政府のことを考えている」、というフレーズで始まる軽快な詩である。地下室「basement」舗装道「pavement」政府「gavernment」と心地いい音が続く。


 『ボブ・ディランの一一五番目の夢』

 メイフラワーに乗って陸地が見えた、というところから始まる長い詩である。スリリングな気分で言葉を辿ってくると、なにか愉快な気分になってくる。


 『エデンの門』

 エデンの門の外にあるさまざまな〝動〟と、門の内側にある静謐がくっきりと描き出される。


 『イッツ・オーライト・マ』

 「真昼の裂け目の漆黒が、銀の匙を影にしてしまい」と歌い始める長い曲は、第一フレーズが、noon,spoon,ballon,moon,soonときちんと同じ音で並べられている。各節ごとに音が変わっていく。それをたたみかけるように、早口で一気に喋るように、ディランは綴っていく。


 『イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー』

 ディランの強い決意が伝わってくるような詩。


 『廃墟の街』

 11分もある長い曲であり、この詩のもつイメージは凶悪で壮大で、示唆的で幻想的である。そのイメージの強さに何度も聞き返してしまう。


  『追憶のハイウエー61』

 「40本のレッドとホワイトとブルーの靴紐に、1000台の鳴らない電話がある」「五番目の娘が十二夜に、第一の父に言った」「第二の母は第七の息子とともにハイウェイ61にいた」

 数字がときに暗示的に、あるいは無意味に羅列されるのもディランの詩の魅力である。意味を探ってもどこにもたどりつかなさそうだが、でも無意味だろうと切り捨てる勇気も持てない。思考の混乱もまた快感になる。


 『ジョアンナのビジョン』

 ここにいないジョアンナのことを想う言葉が美しい詩となっている。


 『メンフィス・ブルース・アゲイン』

 同じところをぐるぐる廻っているような気分になってくる楽しい詩。聞いているととても元気になる。


 『ローランドの悲しい目の乙女』

 高貴なるものと卑賤なものが同価値で混じり合っている世界を暗示しながら、そこにはディランの哀しみがしっかりと感じられる。何度も惹きつけられるとても魅力的な詩である。


 『見張り塔からずっと』

 短い詩である。Watchtower見張り塔という言葉が刺激的である。ディランの立ち位置を示しているようだ。山猫が唸り、風が吠えはじまたところで詩は、断ち切られるように終わる。


 『フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド』

 フランキーとジューダスの物語詩。フランキーは死んでしまう。

 * * *

 いまも心に残るフレーズがある詩たちである。

 わたしがもっとも繰り返し聞いているのは『廃墟の街』と『ローランドの悲しい目の乙女』である。この二曲を聴き続けているだけでも、常に何かを刺激され、脳の中が刷新されるようである。

 文字と音を真剣に追うけれど、でも意味は深く考えないのが、ディランの詩を聴く時のポイントだとおもう。ディランの詩の素晴らしいところは、やはり、詩人じしんが朗読してくれているところだろう。

堀井 憲一郎     ★

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

パティ・スミス、ノーベル賞式典でボブ・ディランの『はげしい雨が降る』をカヴァー

ローリングストーン日本版 12/13(火) 17:00配信

パティ・スミスは、12月10日、スウェーデンのストックホルムで行われたノーベル賞授賞式で、ボブ・ディランの『はげしい雨が降る』のエモーショナルな演奏を披露した。

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ

パティ・スミスは、12月10日、スウェーデンのストックホルムで行われたノーベル賞受賞式で、ボブ・ディランの『はげしい雨が降る』のエモーショナルな演奏を披露した。この演奏は下のビデオの1:03:00から始まる。

スミスは、アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のクラシックを、アコースティック・ギターとペダル・スチール・ギター、そしてオーケストラをバックにノーベル賞の演壇から歌った。

曲の途中で、スミスは歌詞の1節を繰り返してしまったため、少しのあいだ演奏を中断せざるを得なくなり、さらにその部分から演奏を再開するのにちょっとした気持ちの立て直しが必要になった。「ごめんなさい。お詫びします。とても緊張しているので」とスミスは聴衆に話し、そんなスミスの誠実さを聴衆は称えた。

スミスの演奏に続き、ディランは「詩についての我々の概念を変えた」というスウェーデン・アカデミーのノーベル賞記念講演となった。

12月5日、ノーベル賞授賞式にディランが出席しないことに併せて、ノーベル文学賞授賞式でパティ・スミスが『はげしい雨が降る』を演奏するとの発表があった。

「オーケストラと一緒に私の歌を歌う計画があったの」とスミスはローリングストーン誌に話している。「だけど、ボブ・ディランが受賞して彼が受け取ることになったので、私の曲は置いておいて、彼の曲を歌う方が相応しいように思ったの。私は『はげしい雨が降る』を選んだわ。

なぜなら彼の曲の中でもっとも美しい曲の1つだから。人の痛みについての深い理解と痛みを究極的に跳ね返す力、それにランボー的な言葉への造詣が合わさっているのよ」。

「私は10代の頃からディランを追いかけてきたわ。半世紀になるわね」とスミスは加える。「彼の影響は大きく広がって、そのことで私には彼に多くの借りがあるわ。12月10日の式典でディランの曲を私が歌うのは、期待されていたことではなかったけれど、彼の曲を演奏するのを誇りに思うし、私たちのずっと先にはいるけれど、現代の、カルチャーの先導者として彼が存在してくれることに対する感謝の気持ちで演奏してみようと思うの」。
Translation by Kise Imai

パティ・スミスが語る、ノーベル賞授賞式:"極度の緊張状態"だった 
ローリングストーン日本版12/15(木) 16:15

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

パティ・スミス、ノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

BARKS 12/15(木) 20:52配信

パティ・スミスが、『New Yorker』誌にエッセイを掲載し、ノーベル賞授賞式でボブ・ディランの曲をパフォーマンス中、口ごもってしまった理由を説明した。

◆パティ・スミス画像

パティは9月、「そのときまだ誰かはわからなかったけれど、文学賞受賞者の栄誉を称えノーベル賞授賞式で歌わないかと打診された」そうで、「自分の曲の中からオーケストラとパフォーマンスするのに相応しいと考えた1曲を選んだ」という。

「けれど、ボブ・ディランが選ばれ、それを受け入れたと発表されたとき、自分の曲を歌うのはもはや適さないように思いました。予期せぬ状況に置かれ、私は相反する感情を抱きました。彼が欠席し、私はこの役目に適任なのか? 決してそんなことはしたくないと思ってきたのに、ボブ・ディランを不快にすることにはならないか? でも、決意を固め、全てを検討し、ティーンエイジャーのときから大好きで、私の亡くなった夫のお気に入りでもあった“A Hard Rain’s A-Gonna Fall”を歌うことにしました」

「そのときから、暇さえあれば練習し、全ての節を覚え歌うことができるよう尽力しました。自分も青い目の息子を持ち、喜びと決意を抱きながら、歌詞をオリジナルのキーで何度も何度も口ずさんでいました。作られたものそのままに歌おう、そして自分にはできるとだけ考えました。新しいシャツを買い、髪の毛を切り、準備万端だと思いました」

「ノーベル賞授賞式の朝、不安とともに目が覚めました。土砂降りで、雨は激しく振り続けました。着替える際、自信を持って曲を繰り返し歌っていました。ロビーへ行くと、フォーマルで伝統的な――刺繍のはいったクリーム色の着物と草履姿の素敵な日本人の女性がいました。彼女の髪は完璧にセットされていました。彼女は、生理学・医学賞を受賞した上司の栄誉を称えるために来たが、天気が嫌だと言ったので、私は、あなたはきれいよ、どれほどの風や雨もそれを変えることはできないと答えました。

コンサート・ホールに着いたころには、雪になっていました。オーケストラとのリハーサルは完璧でした。自分の楽屋にピアノがあり、紅茶と温かいスープが持ち込まれました。みんながパフォーマンスを楽しみにしているのは承知していました。全てが私の前にありました」

「16歳のとき、私にとって初めてのディランのアルバムを買ってくれた母のことを想いました。彼女はそれをバーゲン・コーナーで見つけました。“彼はあなたが好きそうなタイプね”って言っていました。私はそのレコードを何度も何度もプレイし、“A Hard Rain’s A Gonna-Fall”はお気に入りになりました。

それは当時、私はアルチュール・ランボーの時代には生きていないけれど、ボブ・ディランの時代にいると思わせたものです。それに、夫のことも考えました。彼と一緒にこの曲をパフォーマンスしたこと、彼の手がコードを奏でるところを思い出しました」

「そして突然、時間がきたのです。オーケストラは、王、皇族、受賞者たちが座る、ステージを見渡すバルコニーに配置されました。私は指揮者のとなりに着席しました。式は予定通り進行し、私はヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、アルベール・カミュら過去の受賞者が王のもとへ向かいメダルを受け取るところを想像していました。

そして、ボブ・ディランの文学賞受賞がアナウンスされ、私は心臓が激しく鼓動するのを感じました。彼への感動的なスピーチが読み上げられた後、自分の名が呼ばれるのが聞こえ、立ち上がりました。まるでおとぎ話のように、私はスウェーデンの王や王女、世界の偉人たちを前に立ったのです。全ての言葉がそれを書いた詩人の経験や立ち直る力をエンコードした曲と共に」

「オープニングのコードが始まり、自分が歌っているのを耳にしました。最初の一節はまずまずで、ちょっと震えていましたが、このさき落ち着くだろうと確信していました。しかし、その代わりに、私はあまりにも多くの感情に襲われ、そのあまりの激しさに圧倒され、それらをコントロールすることができなくなったのです。

目の端からテレビ・カメラの巨大なブーム・スタンドやステージの上の高位な人々を見ることができました。これほど圧倒されるような緊張には慣れておらず、続けることができませんでした。私は、自分の一部となった歌詞を忘れたわけではありません。ただ単に、それらを口に出すことができなかったのです」

パティは席に戻った際、失敗したと恥ずかしくて仕方なかったと同時に、その部分の歌詞が「I stumbled alongside of twelve misty mountains」に始まり「And I’ll know my song well before I start singing」で終わるところだったのに気づき、「本当にあの歌詞の世界に入り込んだという奇妙な実感を持った」という。

翌朝、朝食でノーベル賞受賞者たちに会ったとき「いいパフォーマンスだった」と言われ、「もっと上手くできたらよかった」と答えると、「いやいや、僕らには、君のパフォーマンスは僕ら自身の葛藤のメタファーに見えた」と優しい言葉をかけられたそうだ。

パティは70歳の誕生日(12月10日)に息子や娘とともに、彼女が誕生したNYでスペシャル・パフォーマンスを行なう。
Ako Suzuki

パティ・スミス、ノーベル賞授賞式でのパフォーマンスを振り返る

12月15日(木) 20時52分-音楽(BARKS)



終りまでお読み頂き、ありがとうございました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ラベル:ノーベル賞
posted by たまわさ at 21:00| Comment(0) | ノーベル賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

静かに起きている日本のボブ・ディラン現象12月11日

静かに起きている日本のボブ・ディラン現象 



以下の報道記事はボブ・ディランについてのノ
ーベル文学賞受賞の発表からの経過を整理した
ような内容です。ノーベル文学賞受賞によって、
ボブ・ディランが日本の茶の間に入り込んでい
るということです。少し言い方を変えると、ノ
ーベル文学賞が広く深く日本の茶の間で楽しま
れていると言えないこともないですね。


幅広く関心を持たれて、アルバムなども飛躍的
に売れているようです。今まで知らなかった、
曲を聴いたことがなかったという人が関心を持
つようになったとも述べています。推測ですが、
すごい数の人が注目し始めたのではないでしょ
うか。耳から聞くノーベル文学賞作品というこ
とになるのかもしれません。


自作の詩で作曲も本人、周りの騒ぎを避けて我
が道で進んできたミュージシャンということで
す。実際、現在でも年間に約100回くらいライ
ブをしているという元気さ、しかも毎回新しい
ことをするという、どこか超人的な部分もある
ようです。


耳から聞くノーベル文学賞は初めてなので、ノ
ーベル賞のフアンも増えることでしょう。受賞
のニュースをきっかけに初めてボブ・ディラン
の何十年も前の曲にしびれている人などもいる
ことでしょう。いいことばかりで2017年が初ま
ったことにしましょう。
報道記事の配信は12月11日のものです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディラン あらためて知る、ノーベル賞詩人の素顔

NIKKEI STYLE 12/11(日) 7:47配信

  •  

 ノーベル文学賞に選ばれながら、授賞式には先約があるとして「欠席」を表明したボブ・ディラン。授賞式では、ディランにあこがれてミュージシャンになった、愛弟子ともいえるパティ・スミスが歌い、その後の晩さん会ではディランからのメッセージも披露されるという。
 受賞した10月13日以降、2週間余りも沈黙を続けた際は「無礼で傲慢」などと報じられ、変人・奇人ぶりがクローズアップされた感もある。だが、受賞後に受けた英デイリー・テレグラフ紙のインタビューでは、素直に喜びを語っており、やはり本人も嬉しかったのは間違いなさそうだ。
 長年、彼とかかわってきたソニー・ミュージックの洋楽担当者である白木哲也氏も、「これまでもコメントは出さないのが普通だった」(以下同)と言う。過去の数多くの受賞や勲章も、時間さえ許せば出向いて受け取っているので、今回のノーベル賞授賞式も、出たかったのだが残念ながらの欠席、と受けとめるのがよさそうだ。
 そんなふうに、周囲の喧噪(けんそう)をよそに、我が道を行くのがディランというミュージシャンであり、そこが多くのファンを引きつける。

■歌詞のフレーズは、優れた“格言”のよう

 ノーベル賞受賞で初めてディランを知った人や、名前は知っているもののどんな人かよく知らないという方々のために、あらためて彼の歩みや素顔を振り返ってみよう。
 1962年にフォーク歌手としてデビュー。ベトナム戦争などで揺れる米国で、翌年に名曲『風に吹かれて』を発表。その後フォークからロックへ転換し、若者を中心に支持を受ける。職業作家によるラブソングが主流の時代に、政治や社会へのメッセージを打ち出した歌詞は革新的だった。ディランは「自ら歌いたい歌がなかったから」という理由で自分で曲を作り、それは時代が変わる瞬間を捉えたものだった。
 「歌詞のフレーズは、時に優れた“格言”のようでもあり、誰もが想像力を働かせ、自分に当てはめて、自分なりにいろいろな解釈ができる普遍的なもの。
 例えば、『いつもの朝に』では“きみの立場からすれば きみは正しい ぼくの立場からすれば ぼくは正しい”と歌い、『時代は変る』では“今の1位はあとでビリっかすになる 時代は変わりつつあるんだ”とも。そして、『ライク・ア・ローリング・ストーン』では“どんな気がする? 誰にも知られないってことは。転がる石のように…”と語りかけてくる。
 うまくいかなかったり、悩んだり、落ち込んだり、人生の中で何か壁を感じたり、そんな時、ディランが自分に向かって歌ってくれる。そして“グッとくる”。だからこそ、多くの人々が共感し、彼らの人生観を変えるほどの強烈なインパクトを残したのではないでしょうか」

■ライブでは、必ず最新型のディランを見せる

 66年7月にバイク事故に遭い、ツアー活動休止。74年にツアー復帰以降は、巨大ビジネス化した音楽産業への反動から小規模抜き打ちツアーを行ったり、「ゴスペル三部作」と呼ばれるキリスト教と深く関わるアルバムを出すなど、常に反体制の姿勢を漂わせてきた。
 88年にスタートした「ネヴァー・エンディング・ツアー」はあと2年で30年を迎える。75歳になった今も年間100近くの公演を重ね、累計ライブ数は世界中で2000回以上。2016年4月には通算8度目のツアーで来日している。このライブにも、ディランらしさが表れている。
 「毎回、必ず最新型のディランを見せつける。いつもその時の最新アルバムからの曲を中心に演奏し、お客さんに迎合した“グレーテスト・ヒッツ・ショー”は絶対にやらない。過去のヒット曲をやっても原型をとどめず、毎回全く違う姿になっていく。常に新しい道を進もうとしている姿勢、そこがディランらしさでもあり、これからも変わらないでしょう」
 こうしたディランの音楽や生き方は、多くのミュージシャンに影響を与えてきた。ジョン・レノンの作風を変え、ディランの『見張塔からずっと』をカバーしてヒットさせたジミ・ヘンドリックスや、ブルース・スプリングスティーン、日本では吉田拓郎らがフォロワーとなった。同じノーベル文学賞の有力候補と言われ続けている村上春樹の作品にも、ディランは登場してくる。
 彼はシンガーや作曲家であるだけでなく“詩人”であり、その多彩なサウンドと含蓄のある言葉で多くの人々の魂を揺さぶってきた。
 そして、「米国の伝統音楽にのせて、新たな詩の表現を創造した」という理由で、ノーベル賞を受賞する。音楽家としては初めての文学賞、という快挙である。


■初めて聴く世代からも大きな反響

 受賞のインパクトは大きく、ディランの動向が世界中のメディアで連日過剰なまでに報道される光景を目のあたりにして、彼の偉大さを初めて知ったという人も多かっただろう。
 ディランへの関心の高まりは、CDアルバムのセールスにも表れた。日本では、受賞の翌日には2万枚を超える注文が殺到。ベスト盤は軒並み品切れとなり、急きょ増産体制がとられた。
 12月7日には、オールタイム最新ベスト盤『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ボブ・ディラン』が発売されたが、それまでのベスト盤に比べて4~5倍の売れ行きだ。代表曲35曲を収録した入門編としての内容に加え、わかりやすい日本版ブックレット(解説書)がついているため、今回の受賞で初めてディランを知った人や若い世代が手に取っているという。ノーベル賞効果で、ファンのすそ野も広がった。
 「ディラン本人は、間違いなく受賞を喜んでいるでしょうが、周りの騒ぎには『面倒だなあ』と嫌気がさしているのではないか。今回の受賞で、お茶の間にまで名前は浸透したと思いますし、これを機にさらに多くの方々に彼の“歌の力”を感じてほしいですね」
 『雨のバケツ』では“やらなきゃいけないことをやるだけさ だからうまくできるのさ”と歌ったディラン。その言葉通り、自分の信じた道を、ただ黙々と歩み続ける。その後ろ姿を追うフォロワーは、今後も増え続けるに違いない。
(ライター 山田真弓、日経エンタテインメント! 小川仁志)

ボブ・ディラン あらためて知る、ノーベル賞詩人の素顔 NIKKEI STYLE12/11(日) 7:47

終りまでお読み頂き、ありがとうございました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ラベル:ノーベル賞
posted by たまわさ at 20:00| Comment(0) | ノーベル賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文豪の名が連なる受賞メッセージの全文12月12日

文豪の名が連なる受賞メッセージの全文




ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞のメッセ
ージの全文を掲載します。このメッセージに至
るまでの経過は以下の記事の後半を見てくださ
い。この記事の配信は12月12日のものです。


このブログを1月1日から見ていただいている
読者には部分が報道されているので雰囲気はす
でにご存知でしょう。ノーベル文学賞の決定が
発表され、ボブ・ディランはしばらく沈黙を守
りましたが、その答えがあるように思われます。


ボブ・ディランは自分が作った曲やライブの活
動が文学かどうか自問していたようなのですが、
やはり自分が読んだノーベル文学賞を受賞した
文豪の作品を思い出したり、確認したりしたの
ではないでしょうか。

今日の妨害ハッカーはしつこい、日にちが
  替わるまで妨害してくれた

そこで、ボブ・ディランの挙げた文学者につい
て受賞した年を調べてみました。

ラドヤード・キップリングは1907年にノーベル
文学賞を受賞したイギリス人です。
バーナード・ショーは1925年にノーベル文学
賞を受賞、イギリス人。
トーマス・マンは1929年にノーベル文学賞を受
賞、ドイツ人。

パール・バックは1938年にノーベル文学賞を受
賞、アメリカ人。代表作「大地」は中国のお話
の名作ですね。
アルベール・カミュは1957年にノーベル文学賞
を受賞、フランス人。
ヘミングウェイは1964年にノーベル文学賞を受
賞、アメリカ人。


その次に、シェイクスピアが登場します。参りま
したね。シェイクスピアの時代となると映画はも
とより電気もない時代に遡ります。文学という感
覚があったかどうか。ボブ・ディランは独自の道
を進んできた内容を理解してもらいたかったよう
です。


そして、シェイクスピアは演劇が成功するために
演出や資金などあらゆることに努力したでしょう
が、それは生身の観客のため、文学かどうかは考
えてはいなったはず、同じように自分も文学かど
うは意識していなかったけれど、フアン、観客
のためには精一杯努力した。文学かどうかについ
てはスウェーデン・アカデミーが答えを出してく
れた、感謝します、となっています。

見事ですね。シェイクスピアの名前もあるメッセ
ージに、スウェーデン・アカデミーの委員も安心
したのではないでしょうか。



(今日の妨害ハッカーはしつこい、日にちが
  替わるまで妨害してくれた

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ

BY ANDY GREENE 
ディランのスピーチは、在スウェーデン米国大使アジータ・ラジが代読した。
以下、その全文:
皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。

本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。
私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。
いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。

その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが、本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。

ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。

ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。
彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。
つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。
もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。
それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。

ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。
それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。

そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。

私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。

「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。

この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。

ありがとうございました。

ボブ・ディラン

◇◇   ◇◇   ◇◇ 


ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、授賞式後の晩餐会向けにメッセージを寄せた。「キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイなどの偉大な人々と共に名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです」。

2016年10月初旬、ボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されるというニュースが流れた時、その異例とも言うべき決定に最も驚いたのはディラン自身だっただろう。


ディランが受賞すれば1993年以来のアメリカ人受賞者となるノーベル文学賞は「誰か別の人間に授与すべき」と、ゲイリー・シュタインガートやジェイソン・ピンターら何人かの作家から反対の声が上がった一方で、スティーヴン・キングやジョナサン・レセムをはじめ多くの人々からは、「素晴らしい決定」として祝福の声が寄せられた。
受賞決定後、何週間もディラン側は沈黙を続けた。ノーベル委員会は「ディラン側の誰からも折り返しの電話がない」とメディアに語った。ノーベル委員会のペル・ヴェストベリイも「(もしこのまま沈黙を貫くとしたら)それは無礼で傲慢な態度だ」とコメントしていた。

10月29日、ディランのアート展覧会に関連してデイリー・テレグラフ紙のインタヴューを受けた彼は、ついに沈黙を破った。「信じられない。とてつもなく素晴らしい。自分が受賞するなど夢にも思わなかった」。
インタヴュアーを務めたライターのエドナ・グンダーセンからの「ストックホルムでの授賞式へ出席するか」との問いに対しディランは、「もちろん。できる限り善処する」と答えた。
ツアーは授賞式の数週間前に終了したため、授賞式へは出席できるはずだったし、過去数 “とても名誉ある賞”であるノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、授賞式後の晩餐会向けにメッセージを寄せた十年の間、出席が可能な健康状態の受賞者で出席を断った例はない。

いつものディラン流のやり方で、彼はさらに周囲の思惑をかき回した。11月16日、彼は「授賞式へは出席しない」と宣言したのだ。「昨晩、スウェーデン・アカデミーはボブ・ディラン氏から個人的な手紙を受け取りました。そこには"既に別件が入っているため、12月のストックホルムでの授賞式へ出席することはできません"と書かれていました。彼はまた、"受賞はとても光栄なことで、直接受け取りたかった"とも述べています」との内容の声明をアカデミーが発表した。

ノーベル賞受賞者には、受賞から6ヵ月以内に記念講演を行う機会が与えられる。アカデミーとしては、2017年にディラン自身がストックホルムを訪れることを期待していたが、結局ディランは授賞式向けのスピーチの代読を依頼してきた。

全文掲載|ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ | Rolling Stone ...

rollingstonejapan.com/articles/detail/27267

 

終りまでお読み頂き、ありがとうございました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ラベル:ノーベル賞
posted by たまわさ at 19:00| Comment(0) | ノーベル賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ボブ・ディランがストックホルムへ

ボブ・ディランがストックホルムへ

 



以下の記事からですが、スウェーデン・アカ
デミーとボブ・ディランがストックホルムで
会見するということです。賞状とメダルが渡
されるということです。

賞金はこのときには渡されないということで
す。賞金は何らかの講演が必要であり、この
時には渡されないようです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディラン氏、今週末にノーベル文学賞を受け取りへ

AFP=時事 3/29(水) 19:55配信

  •  

【AFP=時事】(更新)米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン(Bob Dylan)氏が今週末、スウェーデンのストックホルム(Stockholm)でノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)を受け取ることが明らかとなった。

【関連写真】昨年のノーベル賞の晩さん会で、ディラン氏の曲を歌う米歌手パティ・スミスさん

 同賞の選考委員会であるスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)のサラ・ダニアス(Sara Danius)氏が自身のブログにて明らかにしたもので、「うれしいことに、スウェーデン・アカデミーとボブ・ディラン氏は、今週末に会見すると決めた。その際、ディラン氏に賞状とメダルを授与し、ノーベル文学賞受賞をお祝いする」と投稿した。

 またダニアス氏によると、賞金の800万スウェーデン・クローナ(約1億円)を受け取るための唯一の要件とされる、受賞に伴う講演が行われる予定はないため、週末の訪問で賞状とメダルを授与するとしても、ディラン氏に賞金が渡されることはないという。

 ノーベル賞の講演は短いスピーチ、または歌や演奏でも、さらに映像配信によるものでも構わないが、同賞の創設者であるアルフレド・ノーベル(Alfred Nobel)の命日で、毎年授賞式の行われる12月10日から6か月以内に行われなければならない。

 一方でダニアス氏は、今後スウェーデン・アカデミーに、何らかの収録物が送られてくると信じるに足る理由がある」とも述べている。【翻訳編集】 AFPBB News

ボブ・ディラン氏、今週末にノーベル文学賞を受け取りへ

AFP=時事 3/29(水) 19:55

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ディランさんにメダル授与へ=ノーベル文学賞の選考団体―スウェーデン

時事通信 3/29(水) 20:37配信

 【ロンドン時事】ノーベル文学賞の選考に当たるスウェーデン・アカデミーは29日、昨年の受賞者である米シンガー・ソングライター、ボブ・ディランさんに対し、今週末にストックホルムで開く会合で賞状とメダルを授与すると明らかにした。


 アカデミーのサラ・ダニウス事務局長はブログで、「良いニュースだ。アカデミーとディランさんは週末に会合を持つことを決めた。アカデミーは彼の文学賞受賞を祝福する予定だ」と述べた。

 ディランさんは昨年12月の授賞式を欠席。受賞者は式から6カ月以内に講演を行う必要がある。ダニウス事務局長によると、ディランさんは当日講演せず、代わりに録音テープを後日送付する。ディランさんの希望により、会合に出るのはアカデミー関係者のみで、メディアは同席しない。

ディランさんにメダル授与へ=ノーベル文学賞の選考団体―スウェーデン

時事通信 3/29(水) 20:37



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


(以下をいいねと、お願いします。いつも感謝しています)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

★クラウド型レンタルサーバー【Zenlogic】

ショップ名:ファーストサーバ株式会社

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ラベル:ノーベル賞
posted by たまわさ at 17:00| Comment(0) | ノーベル賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

4月2日これで一安心ボブ・ディランが自ら受賞

これで一安心ボブ・ディランが自ら受賞

 



今回はアジアのお話でなく、さらに西のヨーロ
ッパのお話です。なぜか質が大きく異なります。


ボブ・ディランでがスウェーデンへいきました。
ストックホルムでコンサートをするついでにノ
ーベル賞の賞状とメダルを受け取ったというこ
とです。


いや、ノーベル文学賞の賞状とメダルを受け取
るついでにコンサートをしたのかもしれません。
どっちか分かりませんが、心行くまで手順を考
たようです。


取材の記者をシャッタアウトしての受賞なので、
かに物事が進んでいくのが好きなのでしょう。
12月の夜が長く寒い時よりも、明るくそれほど
寒くない時を選ぶなど自由でマイペースなのは
立派ですね。これといった話題も作らずにノー
べル賞を受賞したようです。これで大筋、みん
な安心したのではないでしょうか。


まだ約1億円の賞金が未受領です。これについ
てのボブ・ディランの発言はありません。何か
を歌って何かを届けるのでしょう。2カ月の余
裕があるようです。


2番目の記事は受賞前の配信です。大きな違い
はありません。ほぼ同じです。ボブ・ディラン
が得したのか、スウェーデン・アカデミーが得
したのか、心配しているわけではないのですが、
次のノーベル賞受賞者を発表する時、世界中の
たくさんの音楽フアンが注目すると思うのです
ね。その数が桁違いに増えるなら、スウェーデ
ン・アカデミーが得したと言えるのではないで
しょうか。           

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディラン氏、ついにノーベル賞メダル受け取る

AFP=時事 4/2(日) 12:35配信

【AFP=時事】2016年のノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)を受賞した米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン(Bob Dylan)氏(75)が1日、ついに同賞の賞状とメダルを受け取った。賞を選考するスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)が明らかにした。昨年10月に受賞が決まってから、捉えどころのないディラン氏が果たしてメダルを受け取るのか臆測を呼んでいた。

 ディラン氏は新作アルバム「Triplicate」のリリースに合わせた欧州ツアーのためスウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)に滞在しており、授賞式はディラン氏のストックホルム公演の初日に先立ち非公開の場所で行われた。同公演の2度目のコンサートは2日に行われる。

 スウェーデン・アカデミー選考委員のサラ・ダニアス(Sara Danius)氏のブログ投稿によると、ディラン氏は同アカデミーの12人が出席して行われた「非公開の式典」で賞を受け取った。式ではシャンパンが振る舞われ明るく友好的な雰囲気だったという。

 文学賞のメダルには古代ローマの詩人ウェルギリウス(Virgil)の叙事詩「アエネイス(Aeneid)」から「Inventas vitam iuvat excoluisse per artes」というラテン語の一節が刻まれている。「新たに見いだされた熟達の技によって地上の生活をより良きものとした者たち」といった意味だ。

 受賞者が賞金800万クローナ(約9900万円)を受け取るには記念講演を行うことが義務付けられているが、ディラン氏は1日の授与式でも講演しないことになっていた。代わりに6月10日までに何らかの形で講演を行う。録画での提出も認められており、短いスピーチや歌や演奏のパフォーマンス、映像配信でも構わないという。この条件を満たせなかった場合、ディラン氏は賞金を受け取れない可能性がある。

 ダニアス氏は先月29日、「今後スウェーデン・アカデミーに、何らかの収録物が送られてくると信じるに足る理由がある」と語っている。【翻訳編集】 AFPBB News

ボブ・ディラン氏、ついにノーベル賞メダル受け取る

AFP=時事 4/2(日) 12:35

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ディランさんにメダル授与へ=ノーベル文学賞の選考団体―スウェーデン 

時事通信 3/29(水) 20:37配信

 【ロンドン時事】ノーベル文学賞の選考に当たるスウェーデン・アカデミーは29日、昨年の受賞者である米シンガー・ソングライター、ボブ・ディランさんに対し、今週末にストックホルムで開く会合で賞状とメダルを授与すると明らかにした。


 アカデミーのサラ・ダニウス事務局長はブログで、「良いニュースだ。アカデミーとディランさんは週末に会合を持つことを決めた。アカデミーは彼の文学賞受賞を祝福する予定だ」と述べた。

 ディランさんは昨年12月の授賞式を欠席。受賞者は式から6カ月以内に講演を行う必要がある。ダニウス事務局長によると、ディランさんは当日講演せず、代わりに録音テープを後日送付する。ディランさんの希望により、会合に出るのはアカデミー関係者のみで、メディアは同席しない。

ディランさんにメダル授与へ=ノーベル文学賞の選考団体―スウェーデン

時事通信 3/29(水) 20:37

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ボブ・ディラン氏、ノーベル文学賞のメダル受け取る

直後のコンサートでは無言貫く

日本経済新聞 2017/4/2 8:44 


 【ストックホルム=共同】2016年のノーベル文学賞受賞者の米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏は、訪問中のスウェーデンの首都ストックホルムで1日、選考主体のスウェーデン・アカデミーから同賞のメダルと賞状を受け取った。アカデミーが明らかにした。



 ディラン氏は昨年12月の授賞式を欠席しており、約4カ月遅れの授与となった。一方、直後に開いたコンサートでは無言を貫き、授与をどう受け止めたかを知りたいファンには肩透かしとなった。



 発表によると、アカデミー関係者12人が授与式に出席し、シャンパンが振る舞われた。AP通信の取材に応じた関係者の一人によると、授与式があったのは市内のホテルで、ディラン氏は「とてもいい人だった」という。地元メディアは、ディラン氏が授与を喜んでいるように見えたとの出席者の話を伝えた。



 1日夜のコンサートで、ディラン氏は「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」などの曲を約1時間半披露。演奏に徹し、一言も話さなかった。長年のファンの農業ハンス・ゲオルグハウさん(49)は「受賞の感想を聞きたかったが、ノーコメントに驚きはない。いい演奏をすることに集中したのだろう」と話した。



 ディラン氏は、昨年10月の授賞発表直後に米国で開いたコンサートでもファンに語り掛けることはなかった。一方、昨年末の授賞式で代読されたスピーチでは「名誉ある賞を光栄に思う」と素直に喜びを表していた。  日本経済新聞  

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

BARKS 3/30(木) 10:16 

米国の対日貿易赤字、14%減 トランプ氏「うれしい」

朝日新聞デジタル 4/5(水) 3:05


よかったら覗いてみてください

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 


(以下をいいねと、お願いします。いつも感謝しています)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

★GMOクラウド ALTUS(アルタス)

国内最大級のパブリッククラウド

ショップ名:GMOクラウド株式会社

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ラベル:ノーベル賞
posted by たまわさ at 16:00| Comment(0) | ノーベル賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。